ふとした瞬間に、「渋いな」と口をついて出ることがある。
使い込まれた古い道具を見たとき。
誰かの、決して媚びない静かな選択を知ったとき。
「かっこいい」とも「美しい」とも少し違う。
派手さはないのに、なぜか深く記憶に残り、圧倒的な存在感を放つもの。
もともと「渋い」とは、柿やお茶のような味覚を指す言葉だったという。
口に含んだ瞬間に脳が喜ぶような、分かりやすい甘さではない。
飲み込んだあとにじわりと広がり、なぜかもう一度味わいたくなる。
即効性はないが、遅れて確実に効いてくる。
今の時代、画面をスクロールすれば、分かりやすくて刺激的なものが次々と目に飛び込んでくる。
けれど、それらは一瞬で消費され、何も残さない。
だからこそ、この「遅効性の魅力」に惹かれるのかもしれない。
新品のピカピカな状態には、輝きはあっても渋さはない。
傷がつき、色が沈み、角が削れる。
そうやって時間を引き受けた痕跡が表面に滲み出たとき、初めてそこに奥行きが生まれる。
それはきっと、「見せよう」とすることをやめた時に自然と現れる強さだ。
無理に飾らず、多くを語らない。
革のエイジングも、人の生き方も同じだと思う。
どんな選択を重ね、どんな傷を受け入れてきたか。
その内面の積み重ねが、いつか外側に滲み出る日を待つ。
深みは、一朝一夕では手に入らない。
だから、焦る必要はない。
自分の刻むシワすらも悪くないと思えるような、そんな静かな枯れ方をしていけたらと思う。

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