一人でビジネスを動かすとき、 「マネジメント」、「職人」、そして「起業家」という三つの役割をバランスよくこなすことは至難の業である。
なぜなら、それぞれに求められる「頭の使い方」が根本から異なるからだ。
「マネジメント」は安定と再現性を求め、人や時間、数字を整える。
「職人」は対象に深く没入し、「あと1ミリ」の精度にこだわる。
一方、「起業家」は変化やリスクを引き受け、まだ見ぬ市場の可能性を取りにいく。
例えば、職人としての自分が「もう少し作り込みたい」と願う場面で、マネジメントの視点は「納期とコスト」を問い、起業家の視点は「別の市場を狙うべきではないか」と囁く。
これらを常に均等に保とうとすれば、自ずと精神は散逸し、どれもが中途半端に終わってしまう。
若いうちは、すべてを自分の手で泥臭く回すことが確かな成長につながる。
しかし、年齢と経験を重ねるにつれ、すべてを掌握することよりも「どこを自分で握り、どこを手放すか」が重要になってくる。
無理に役割を均等に割り振るのではなく、自分という人間の「核」がどこにあるのかを見極める時期が必ず訪れるのだ。
もし己の核が職人であるならば、マネジメントや起業家としての立ち回りは、あくまでその作品を作り続けるための補助輪として機能させればいい。
そんな思考を巡らせていた折、川又一英の『ヒゲのウヰスキー誕生す』を読んだ。
日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝の生涯を描いた一冊だが、ここに描かれている彼の姿は、計算高い経営者というよりも、理想の味を執念深く追い求める生粋の技術者であり、職人であった。
彼の持つ、妥協を許さず、時間を味方にし、流行よりも本物を追求する姿勢は、まさにウイスキー作りに不可欠な性質だった。
だが、彼が日本で本物のウイスキーを生み出すという途方もない夢を実現できたのは、彼一人の才能によるものではない。
妻であるリタをはじめとする周囲の存在が、極めて大きな役割を果たしていた。
リタは単に夫を支えた妻という枠に収まらず、異文化のなかで生活を成り立たせ、政孝の偏屈さや孤立を和らげ、貧しい時代を耐え抜いた。
「この人の信じる道は間違っていない」と確信し続けることで、職人が職人として折れずに立ち続けるための、強固な土台となっていたのである。
職人は、己の技術と信念だけで孤独に生きているように見えて、実はその環境に大きく依存している。
効率や数字、時流への迎合だけを求められる場に置かれれば、竹鶴のような性質の人間は途端に息苦しさを覚えたはずだ。
周囲の人間が「彼は普通の効率重視の人間ではない」と深く理解し、その異質さを許容したからこそ、彼の職人性は守られた。
もちろん、竹鶴にも起業家としての側面はあった。
だがそれは、市場を冷静に分析して隙間を突くような現代的なものではなく、「理想を現実の世界に力技で押し通す」という執念に近いものだった。
異常なまでの職人性と理想主義、それを継続させる意志。そして何より、彼が職人でいられる環境を必死で守り抜いた周囲の支援が噛み合った結果として、後世に残る偉業が成し遂げられたのだ。
長く残るものづくりというものは、一人の孤高の天才から突然変異のように生まれるわけではない。
それは、職人がただ純粋に職人でいられるための環境と、そこに関わる人々の静かな熱量から生まれるものなのだと思う。


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