朽ちたモノを蘇らせる。それは「エコ」ではなく、ただの衝動。

修理、レストア、リメイク、リフォーム…。

モノを長く使うための言葉はいくつもある。

「もったいない」「まだ使える」。

日本人としてDNAに刻まれたようなその美徳は、確かに自分の中にも存在している。

捨ててしまうのは簡単だが、直して使うことには確かな意義がある。

だが、ボロボロになり、誰からも見向きもされなくなった古い道具や素材を前にしたとき、私の手を突き動かしているのは、そんな高尚で道徳的な理由ではない気がしている。

「こいつを、この手でどうにかして動かしたい」

ただ、それだけの純粋な衝動だ。

息を吹き返した後の姿を頭の中で描きながら、無骨な構造と向き合う。

ネットや書籍を漁って修理の糸口を探るが、どこにも明確な解決方法が書かれていないことがただただ遭遇する。

正解がないなら、自分で探り当てるしかない。

さまざまなケミカルを使って長年の汚れを落とし、乾き切った素材にたっぷりとオイルを入れる。

摩耗したパーツを取り外し、新しい命を吹き込んでいく。 手が油や染料で汚れ、手探りで答えを探す泥臭いプロセス。

作業場では、同じBGMが何周も、何十周も繰り返し再生されている。

外界のノイズから完全に遮断され、目の前の朽ちかけたモノとだけ無言で対話する時間。

不思議なことに、答えが見つからずにもがいているその静けさが、私にとってはひどく心地よい。

誰かに頼まれたわけでも、効率が良いわけでもない。

それでも今日も、手と作業着を汚しながら、古いモノの時間を巻き戻している。

そこに理由があるとすれば、やはり「そうせずにはいられない」という衝動だけなのだと思う。

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